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『春の鐘』(はるのかね)は1985年11月9日に公開された日本映画。製作は東宝映画。配給は東宝。カラー、ビスタビジョンサイズ。上映時間は128分。
スタッフ
製作:小倉斉
原作:立原正秋
脚本:高田宏治
音楽:久石譲
撮影:椎塚彰
鳴海六平太に緒形拳、鳴海範子にいしだあゆみがキャスティングされて製作が進められていたが[1]、緒方が「鳴海を中心にした男性映画に変更したい」と主張し[1]、緒方が降板し、いしだもコンビでの出演だったため[1]、二人同時に降りて、それぞれ北大路欣也と三田佳子に変更となった[1]。この二人でそのまま、東映『火宅の人』の夫婦役にスライドした[2]。例えれば「漁夫の利」であるが、東映はこの二人の出演を熱望していたため[2]、あまりのタイミングの良さであった[2]。
古手川祐子が初ヌードを披露し話題を呼んだが[3]、三田佳子も蔵原惟繕監督が「三田さんが出なければこの作品はやめる」とまで言われて口説かれたため[3]、意気に感じて思い切って初めて脱いだ[3]。しかしこのシーンが長く、蔵原がカットし、肝心のところは映らないシーンのみとなった[3]。
脚注^ a b c d 「邦画ニュース」『シティロード』1985年8月号、エコー企画、26頁。
^ a b c 「CLOSE UP 十年目に実現した『火宅の人』深作欣二/『ひとりの男の内面をいちど突っ込んで描いてみたかった』 深作欣二監督『火宅の人』の演出を語る」『シネ・フロント』1986年4月号 No.114、シネ・フロント社、2、4?9頁。
^ a b c d 「堺正章の=HUMAN APPROACH 人間探検 第31回 ゲスト・三田佳子」『週刊平凡』1985年12月6日号、平凡出版、118-121頁。
外部リンク
⇒日本映画データベース 春の鐘
春の鐘
表
話
編
歴
蔵原惟繕監督作品
1950年代
俺は待ってるぜ(1957)
風速40米(1958)
嵐の中を突っ走れ (1958)
爆薬に火をつけろ(1959)
われらの時代(1959)
1960年代
メキシコ無宿(1962)
銀座の恋の物語(1962)
憎いあンちくしょう(1962)
硝子のジョニー 野獣のように見えて(1962)
何か面白いことないか (1963)
執炎(1964)
愛と死の記録(1966)
愛の渇き(1967年)
栄光への5000キロ(1969
1970年代
陽は沈み陽は昇る (1973)
雨のアムステルダム(1975)
キタキツネ物語(1978)
1980年代
象物語(1980)
青春の門(1981)
青春の門・自立篇(1982)
南極物語(1983)